ビジネス・会社

セブ州庁舎(Capitol) セブ市

1
セブ州庁舎(Capitol) セブ市

セブ州庁舎(キャピトル)はセブ州の行政を行う行政機関です。正式名称は「セブ プロビンシャル キャピトル(Cebu Provincial Capitol)」ですが、地元では「カピタル(キャピトルのセブ訛り)」と呼ばれています。場所はセブ市アップタウンにあります。

1900年初頭、アメリカの統治下にあったフィリピンはアメリカの指導の下、地方自治は市町村制から州政へ移行しました。これに伴い各州に州行政機関が置かれます。セブ島はセブ州となりキャピトルがセブ市に置かれます。

最初のセブ州庁舎はセブ市ダウンタウンの「独立記念広場」向かいにありましたが、新都市計画の一環で現在のアップタウンへ移転しました。

現在のセブ州庁舎は1938年に建設されたもので、上から見た形は左右対称H型(変形H型)で、メインブロックの3階建部分と、両翼部分の2階建部分で構成されています。

<新都市計画とキャピトル2
アメリカ統治時代の1910年にセブ市街の新都市計画が始まります。スペイン統治時代に発展していたダウンタウンに対して山手(現在のキャピトル周辺)のアップタウン開発計画です。

はじめにダウンタウンとアップタウンを結ぶ大型産業道路の「オスメニア 通り」が1912年に建設されます。そして、オスメニア通りの山手終点にセブ地方議会議事堂(セブ州庁舎)の建設が計画されました。しかし、アップタウンにキャピトルが移動するのはそれから25年ほど後のことです。

上の写真はキャピトル前から見たオスメニア通り終点。

<当時、セブ州庁舎の周りには何も無かった>
3
現在のキャピトルの周辺はビルが立ち並び渋滞が激しく「街の喧騒」のイメージが強い場所ですが、キャピトルが完成して間もない頃は、周りになにもありませんでした。

<セブのホワイトハウス?>4 5
セブ州庁舎が建設された当時はフィリピンがアメリカの統治時代だったこともあり「アメリカのホワイトハウスをモデルにデザインされた」と言われています。実際、ホワイトハウスとアメリカ議会議事堂を足して2で割ったようなデザインです。

設計したのはフィリピン人のJuan M. Arellano(1888-1960)さんです。他にもマニラ メトロポリタン シアター(1935年)やマニラ中央郵便局(1926年)も設計しています。

キャピトルの前には2つの銅像が立っています>61つは、1521年の大航海士マゼランがセブ島に上陸した当時のマクタン島領主だった「ラプラプ王」の銅像です。ラプラプ王はマゼラン率いるスペイン軍との戦いに勝利し、ヨーロッパ人からの侵略を防いだ最初のフィリピン人として称えられています。

7
もう一つの銅像は第4代フィリピン大統領「セルジオ・オスメニア(Sergio Osmeña)」です。オスメニア ファミリーはセブ出身の有名政治家ファミリーで、キャピトル周辺の大地主でもありました。

州庁舎の裏にある建物>8
この建物はセブ簡易裁判所でした。2014年まで機能していましたが老朽化のため裁判所が他の場所へ移転しました。今はひっそりとしています。

<オスメニア通り>9
キャピトル前からダウンタウンへ一直線に延びるオスメニア通りです。ここ数年、渋滞が激しいセブ市街ですが、この通りに関しては交通量は多いものの渋滞はそれほど発生していません。計画的に作られただけのことはあります。

途中に大きな交差点がありますが環状交差点になっていてスムースに流れています。環状交差点の内側は「フィエンテ オスメニャ(Fuente Osmeña)」と呼ばれる公園になっていて、毎年クリスマスシーズンにセブ最大のクリスマスツリーがこの公園にお目見えします。

 

アクセス

タクシーで行かれる場合、ドライバーに「カピトル(キャピトル)」と伝えてください。

タグ:

この投稿は 2015年10月19日 月曜日 3:54 PM に サービス, 広場・公園, 観光 カテゴリーに公開されました。
投稿者: cebuenglish

コメントをどうぞ

掲載日: 2015-10-19
更新日: 2016-06-02
クチコミ数: 0
カテゴリ
エリア